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中央合唱団を愛する理由(わけ)〜私流昔話 No.2

播磨豊和(中央合唱団・前団長) 

** 爆笑篇 **

1)46期生として中央合唱団の東部教室に18歳で入学しました。研究生として週二回夜、6ヶ月間の教育を受けます。練習日にはB先輩も顔を出しました。先輩はいつも下駄ばきで、話し声はバリバリのバスですが、合唱練習ではやおら楽譜を逆さまに持ち、嬉々としてソプラノを唄いだします。その斬新な楽譜の読み方、革命的は唄法に絶句し、そのような先輩を擁する合唱団に、はかりしれない可能性を信じ、中央合唱団を愛する第一歩となりました。

2)中央合唱団からの誘いで19歳で専従候補生になり、初めて先輩方につれられて千葉県内での地方公演に参加しました。確か茂原だと思いますが、H・S両先輩が新島太鼓を開幕で内マスタ。当時は車両による運搬はしておらず、太鼓は現地調達でした。
気持ちよさそうにたたき出しましたが、地元のお稲荷さんから借りた太鼓で、途中のトコトントントトンコトンでブスッと皮が破れてしまいました。二人はそのまま舞台ソデへ。まさしく東京下町の出身の二人は「太鼓もち」の体。中央合唱団の地方公演は実に多様であることを知り、合唱団への愛をふかめていきました。

3)公演中の宿泊先の旅館で、風呂に順番で入りました。私はたまたまS先輩と一緒になりましたが、脱衣所の浴衣、下着が見あたらなくなりました。置いてあったのは浴衣の細紐一本のみでした。どう工夫しても紐一本で二階の部屋までたどりつくのは難しい。S先輩と相談の結果、先輩がガラス戸から様子をうかがい誰もいないことを確認し、一気に部屋まで駆け上がることにしました。そして、「いまだ!豊和」の号令で飛び出してみると、なんと旅館の女性がこちらに向かってくるではありませんか。S氏は、じっとその機会を狙っていたんです。ついて行った私が馬鹿だった。
なお、この件を発案したのは伴奏者として同行していたK氏であったことが分かりました。
いずれにせよ私に、舞台や人生での勇気と度胸を与えようと、機会をもうけ訓練していただいた先輩には感謝し、そのような先輩をもつ中央合唱団がますます好きになりました。

4)地方(旅)公演は、何かと思いもよらぬことに遭遇をします。
京都のM市での幕開け演奏「みんなが笑う日まで」の三番では、「ワッハッハ!」と大声で笑う動作が入ります。歌い終わると最後列のメンバーが消えているではありませんか…。何が起きたのかとおもったらステージが狭くて合唱団とホリゾントの間に余裕がなく、そっくり返って笑った拍子に壁に頭をぶつけ、合唱台下に崩れて落ちたのです。
演奏中に合唱団員が消える、そんなミステリアスな合唱団、素敵ではありませんか。

5)地方(旅)公演での話の最後は、北海道F市での楽屋騒動。第2部の日本民謡の出番前、I氏がキマタ(パッチ)が見あたらないとオロオロしている。キマタとは和製パンツのことで日本民謡、和太鼓の舞台では欠かせない舞台衣装です。さあ大変。出演時間が迫るなかで、全員がキマタ探し。もうアウトか…と思われた時、I氏の「あった!」の声。実は新調したハッピの丈が長く、すでにはいていたキマタが隠れ、てっきりはいていないいものと勘違い。なんとも楽しい合唱団ではありませんか。

6)沖縄那覇市で、団員のY氏が舞台転換のピアノ移動中、ものの見事にステージで転び、どの演奏もかなわない大拍手を受けたことなどまだまだありますが、次に進みましょう。

7)私が受け持った研究生の終了演奏会が北区・旧赤羽会館で開かれました。「八木節」の踊りで、カスリ姿も可愛い女性の先頭に「カマちゃん」が登場。「ピッピッピッヒャララ、ピッヒャララ〜ラー」でで滑り両足を広げてお尻からドスン!
「どうして転ぶの…」と足元を見てビックリ!な・なんとストッキングとスリッパをはき、出てきたのです。
和洋混合人間の「カマちゃん」元気かな。刺身にジャム付けて食べているかな?「カマちゃん」のおかげで、研究生担任の醍醐味を知りました。

8)専従の勉強の期間は5年間です。日曜日を除き毎日午前中に声楽・合唱・楽典・指揮法などを学び、午後は実践。一時カリキュラムに柔軟体操とリズム体操が加えられ、講師がおいでになりました。
リズム体操の女の先生はの「稽古着はタイツ」の提案により、男女全員が集合しました。体重差に関係なく体の線丸見えの黒タイツ姿の二十人余の男女が順番に、リズムに合わせて飛び跳ねる姿は、およそこの世の物と思えませんでした。
生きている間に、摩訶不思議な体験を施してくれう合唱団に、生涯身をおけるならば、これに勝る幸せはありません。

9)勉強の期間中は、寮生活です。
寮は音楽センター会館から徒歩1分と近くにあり、ともみ(共三)荘という名で、男性が1階、女性が2階で寝泊まりしていました。各部屋は、ゴミの間・チリの間・日向、日陰の間・うなぎの間と呼ばれ、朝は当番を決め簡単な朝食を寮生が準備し、夕食は契約した専従の方が、日曜を除き毎日通ってきて用意をしてくれました。給与はなく、日常生活の最低限の経費が保障されていました。
そんな状況だから、お酒を飲みに行ったり、ご馳走を食べにいくことなどはほとんどできませんでした。
ある日、H・S先輩(なぜか、このお二人…)が、「豊和、寿司おごるぞ」と声をかけてくれました。私は大喜びで、専従のもう1人と一緒に両先輩に従いました。都合四名がテーブルにつき、先輩が元気よく注文をしました。「鉄火巻き2人前とお銚子2本」。後にも先にも注文はそれだけ。男四人が厳かに酒を分かち合い、寿司を摘む姿はいかがなものだったでしょうか…。しかし、その日の酒とスリは美味しかった。なにせ、先輩の愛に包まれた晩餐でしたので。
それにしても、良き先輩を持つ合唱団を誇りに思い増した。

爆笑編つづく

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