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中央合唱団を愛する理由(わけ)〜私流昔話 No.5

播磨豊和(中央合唱団・前団長) 

** 爆笑篇 その5 **

16)1964年の初夏に、関鑑子・井上頼豊両氏に率いられて、中央合唱団をはじめ全国から参加した訪ソ「日本のうたごえ合唱団」の一員として、旧ソ連40日間の演奏旅行に加わりました。主たる役割は、各都市のでコンサートを成功させることでしたが、初めての外国の生活により、大いに見聞を広げる機会にもなりました。

モスクワのホテルで下着に着替え、汚れた下着一式を床に放り投げておきました。演奏会が終わりホテルへ戻ると「あれれ!」下着が消えていました。いったい何が起きたのか?

団に報告したり、ホテル関係者や警察に届けるほどのことでもなく、新しいのを買えばすむことと自分で納得し、その日は眠りにつきました。翌日、合唱団の一日の行動が終了し、ホテルの同じ部屋にはいると、キチンと折りたたまれた下着が置かれて居るではありませんか。メイドさんが気をきかせてクリーニングに出してくれたのです。「あー恥ずかしい」「あー気持ちいい」

17)仕事柄外泊はつきものでした。沖縄の首里に2ヶ月間常駐したこともあります。名古屋市で開かれた「日本のうたごえ総会」出席のため中央合唱団から選出された日本のうたごえ全国協議会の役員であった私は総会準備のため、名古屋市の旅館に宿泊しました。当時は1部屋で3人程度が就寝します。愛知のM氏、長野のO氏と私が同部屋になりました。私が満七で川の字になり床につきましたが、その夜の出来事は今でも忘れられません。 
さあ寝ようとした途端、右から“ガガガガ!”とものすごい「いびき」、するとそれに答えるかのように、左から雷が落ちるときのような「カ・カ・カ・カー」という「いびき」。その競演が果てしなく続き、「うるさい」などというものではなく、お二人の呼吸の物凄さに吸い込まれそうになったり、息が止まりそうになりました。

翌朝ある役員が「それは大変でしたね。ご両名の『いびき』は有名だよ」と話してくれました。知らなかった私。もしかしてハメられた…。イジメられたのかも。

18)私と妻は中央合唱団の研究生に同時期に入学し、その後、職場を退職し団の専従団員となったときの同期生です。
中央合唱団カップルは相当数にのぼり、「うたごえは平和の力!」とともに「うたごえは愛の力!」でもあるのです。
妻が初めて「リサイタル」を行うことになりました。「リサイタル」の前夜、相変わらず夜遅くまでの活動と酒食でドタドタと家に帰ると、「リサイタル」を控え寝付かれずにいた妻が怒った。「何時だと思っているの…。私は明日歌いません。あなたが代わりに歌いなさい!」謝ればよいものを、ついつい口答えをしてしまいました。「わかった。歌ってもいいけれど、そこにブラさがてちる『ドレス』はどう見ても俺には似合わない…。」その後のやりとりは省略。
とにもかくにも「リサイタル」は無事終了。「あー良かった、あのドレスを着せられなくて…」

大好評の播磨さん連載、「爆笑篇」は今回を漏って終了。
次回からは「大感動篇」に突入します。ご期待下さい。

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